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Mike Brodie  ユースカルチャーの痛み。

 

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Copyright : Mike Brodie, Courtesy Yossi Milo Gallery, New York etGalerie Les filles du calvaire

Mike Brodie の写真が胸に迫る。

彼の写真は美しい映画のワンシーンのようだ。けれど、この写真は被写体をケアしてくれるスタッフや環境の整ったロケがおこなわれる映画の現場でとられたのではなく写真家と仲間のその日暮らしの日常を切り取ったものだ。

この写真集はアメリカの大陸横断貨物列車などに無賃で飛び乗り、

渡り労働者として各地と列車をを転々としながら生きるトレインホッパーたちの姿をおったものだ。

彼の写真は美しくドラマチックで同時に

どこまでも痛々しい。

 

 彼の写真は

ユースカルチャーそのものようだ。

RockやEDMで踊り、仲間と馬鹿騒ぎして、とにかく賑やかで、明るくみえる裏側に

未来への不安や、若さゆえの未熟さがもたらす敗北がしっかり抱きあわされている。

 

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 Copyright : Mike Brodie, Courtesy Yossi Milo Gallery, New York etGalerie Les filles du calvaire

 

写真集の裏の彼のコメントは写真に関する言葉は数行しかかかれていない。

写真集で賞をとったこと 初めての賞金は母にプレゼントしたこと。

ポラロイドがフィルムを作らなくなったからカメラをかえたこと。

 

それ以外は彼の半生がひたすらに書かれている。

父の度重なる逮捕、収監。  

恋した女の子がドラッグにはまっていくこと。

バンドもやっていたが、車のメカニックになって働いていること。

 

彼の写真に写っているのは、彼の痛切で生生しい彼の人生そのものだ。

でも、彼の視点はその人生を作品に昇華する。

彼の人生に間違いなく訪れた美しさを永遠に固定する。

 

 

A Period of Juvenile Prosperity

A Period of Juvenile Prosperity

 

 

 

 

ヘンな日本美術史 あるいは、ドクゼツな日本美術史

  トピック「今年買って良かったモノ」について

 

 ヘンな日本美術史  山口晃

めちゃくちゃ面白かった。いやー面白かった。

2015年に買った本、読んだ本でベストかも。

外国人と話す機会の多い人もこれ読んだ方がいいかもしれない。

海外の人と話すときに堂々に日本美術館を説明できるようになる。

 

東京藝術大学修士課程を卒業し、一線で活躍する美術家

 山口晃が自身の愛する「ヘンな」絵を取り上げながら

 日本美術の性質、特徴を西洋美術、モダンアートとの対比で語っていく。

 作者の作品への好き嫌いがはっきりしていて面白い。もはや、毒舌と言ってもいい。

例えば教科書にも載っていた

この作品については

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”「伝源頼朝像」を始めてみた感想はつまらない。

こんな絵をずっと見たいと思っていたのか?”

 だ。 そして、ただの毒舌では終わらず なぜ、そう思ってしまうのか、そう見えるのかを美術作成の技術と当時と現在の作品を見る環境の違いや、後年の修復の是非の問題などを具体的に解説しながら明らかにしていく。

(詳しくは本書に譲るが源頼朝像は昭和54年に修復されている。

 

毒舌のあまり、彼の個人的な感想だったと思っていたものが、実は技術的な裏付けと

日本から西洋そして古代から現代への深い知識に基づく解釈なのだということが

分かってくるのが面白い。

 

それを知るにつれて私(たち)の美術を見る目も、ただ漠然と画面を見ていたのが

筆の勢い、画面に存在するいくつもの視点、絵画の装飾など

作品を鑑賞するとき 注目すべき様々な要素に気づく。

そして、次第に作品の置かれていた場所やその絵画を見る環境

さらには、当時の絵画を見ていた人々の生きかたそのものを想像するところまで

拡がっていく。 

 

 そんな風に真摯に作品と向き合うことが

美術を観る大きな喜びだということを思い出させてくれる。

 また、作者が語る

透視図法のように1点の視点から作品を描き写実的に見せるのではなく

一つの作品の中に私たちが日常に使う様々な視点を一枚の絵に盛り込んで描く日本画の在り方がとても魅力的に感じた。

 

三次元の世界を二次元に写し取るのが絵画なのだから

そこにはそもそも嘘がある。

だからどんなに写実的な絵画も巧妙な嘘、例えば透視図法 を基に描かれる

そんな嘘やルールに縛られるある意味窮屈な西洋の絵画にはない魅力が日本画にある。

 

例えば、

人間は、好きな人、心に残るものは大きく、そうでないものは小さく視えてしまう。

旅行で大きく見えた観光名所を写真で撮ってみると思ったより小さく感じることは

誰もが一度はあるのではないか。

だから日本画では印象に残ったり、主題となる人は大きく、そうでない人やものは

小さく描く。

 

他方では、生活していくうちに道を歩いているときに見る視点と

五重塔に上った時に見える視点を組み合わせた視点を重ねて

私たちの心に中に浮かぶイメージとしての都市を描く。

 

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そんな写実からも自由になった日本画は、

決して写実的な西洋の絵画に劣るものではない。

それを言い切れる作者の美意識

それこそが、心に染みた。

 

かと思えば

NHK 日本戦後サブカル史Ⅱに紹介されそうな へたうま

をいかに長く日本人が愛好していたかも書かれる。

(サブタイトルは 下手うまでなく下手くそと刺激的。)

 

ここでは、語りきれない、日本美術の魅力が詰まった一冊

本当に面白い大事な一冊になりました。 

いやー読み返しちゃう。 表紙もいいんだよなぁ

大好きな一冊。

 

 

ヘンな日本美術史

ヘンな日本美術史

 

 

 

 

 

 

 

ケバブ

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今週のお題「私の流行語大賞

私の流行語大賞はケバブ売りの外国人にあげたい。

ケバブ売りの人の言葉遣いいいんだよなぁ

最近のつぼなのだ。 この前は

 

アニキ、ケバブ 旨いよ メガネ

 

って声かけられた。最後 若干バカにしてる??

と思ったけれど笑

まー見たまま言ってるだけかという気もする 。 そこまでニュアンスでしゃべれたらペラペラだもんなぁ 言葉遣いがなんだか好き。

 

今日は

アニキ ケバブ旨いよ 大盛りしかないよ。

 

だった。

おお、そうか ベース大盛りかでもお肉の量さらにおまけはしてくんないのね。 と悩む。

 

おかげで、すっかり真剣にケバブと向き合う日々。

私の生活を変えた彼らに流行語大賞をあげたい。

はてなブログは4周年! 私の変わったこと、変わらないこと

「4年間で変わったこと、変わらないこと」

はてなブログ4周年おめでとうございます。


もっと長くやられているような気もして、少し意外でした。  それだけ、日常の風景になってるんですね。ステキ。これからもよろしくお願いします。


四年間かわらなことといえば

ケータイの電話番号かなと思います。

ナンバーポータビリデイにも、0円の新規契約の誘いにも負けませんでした。


変わったことは電話番号の重要性じゃないかな。  最早連絡はlineやフェイスブック経由でとることが多くなって、ケータイのショートメールの連絡も本当に減った。

誰かの連絡をとるのにあんなに大事だった携帯電話番号はほとんど意味をなくしてしまっている。


これから個人で大事な番号はケータイ番号じゃなくて、マイナンバーになっちゃうのかね。

そんなことを思っています。

村上春樹の手の内

 

職業としての小説家 (Switch library)

職業としての小説家 (Switch library)

 

 

村上春樹さんが、小説について書いた一冊
「職業としての小説家」

軽いエッセイを読むような気持ちで読み始めて、途中からあまりに詳細に書いてあるのでそんな生易しい本じゃないのではないかと、怖ろしさすら感じた。

音楽家が自分の作曲方法を一から公開するようならものじゃないかって。

この本では、村上さんがどんなふうに小説家になり、
今のような作家になっていったのか(30年以上キャリアを重ね、50か国以上で訳される。)という様子が詳しく書かれている。 

彼は組織に属さない。徒党も組まない。
国家にも、文壇にも おそらく出版社のような企業にも
一定の距離をとる。

そして、個人が自らで考え、納得したことだけを命綱にして、大海原のような社会へ飛び込んで行く。

溺れるかもしれないし、流されるかもしれない。
でも、一つ一つよりあわせた自分の命綱はとても力強く その長いキャリアを通じて、彼自身、そしてなにより彼の作品を
支え続けてきた。

この本を読むと彼がどのように小説や、物語というものを捉え、小説(特に長編)を書き続けるための枠組みを一つ一つやぐらを
組むように作り上げ、そのアジトをいかに長い時間をかけて注意深く組み直し続けてきたかということがよくわかる。

そして、その営みが、荒野を進む戦いの日々であったんだということも。

本当にわかりやすい言葉で、繰り返し説明してくれるのだけれど
彼の語る小説もその一部である『物語』はあまりに広大で
僕は、通信空手で空手を学んでいるような気になる。

わかったような気になるけれど、とても全てを理解できるわけではない。

でも、それが間違いなく力のあるものだとわかって
それが、どこにあるかもなんとなく見当がつきそうで
今は そのことがとてもうれしい。

スワローズリーグ優勝おめでとうございます。

三打席連続ホームランも

 

職業としての小説家 (Switch library)

職業としての小説家 (Switch library)

 

 

 

ちょっとしたパーティとハロウィン 

 

 

トピック「ハロウィーン」について

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むかし、ファッション誌の紹介文に「ちょっとしたパーティにぴったりの服」ってたまにあって、それを見るたびにちょっとしたパーティなんて俺たちの生活のどこにあんだよてと思っていた。

 

今になって、その「ちょっとしたパーティ」が

ハロウィンの渋谷なんじゃないかって思う。

ドンキの手軽な衣装があればだれでも参加できる路上の舞踏会。 踊る隙間なんてどこにもないんだけど。

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ハロウィンの渋谷にはここ三年毎回カメラを持っていく。
毎年どんどん人が増えている。
そのハロウィンを、見ながら、久しぶりにこれってストリートカルチャーが盛り上がってるんじゃないかと思うようになった。

 

ここ最近、エンタメのムーブメントはコミケなどのアニメの文脈だったりアイドルブームだったりヲタというか特定の分野に強い興味がある人向けのものになっていて

そこまで、特定の趣味はないけど、わりにエンタメ全般が好きで何かその時代ごとに盛り上がるもの(ラグビーワールドカップとか)をたくんの人と共有したい、共有して盛り上がる場所がほしいというような人の場所って あまりなかった気がする。

こういう人たちってけっこういるんじゃないかって思うみんな自分の人生にそれぞれ忙しいんだ。エンタメだけを全力で見ているわけにはいかない。

 

そんな彼らが見つけた久々に盛り上がれる「場」がハロウィンだったのじゃないかと思うのだ。

しかもアニメ人気、コスプレブームのおかげで仮装向けの衣装、ウィッグ、メイク道具
などほんとうに安価でクオリティが高いものがたくさんあるし、今やコスプレも一般的で特にめずらしくもない。

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つまり
何かに盛り上がりた人々と
クオリティの高いコスプレができる環境
それがハロウィンというテーマを見つけて
一気に華開いているように思う。

個人的には、「リア充」たちが、アニメブームを消化して渋谷に帰ってきたように感じていて面白いんだ。

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そしてこの盛り上がりの好きな点は
大企業とか、代理店とか、企業が引っ張っているんじゃなくて
企業を利用しながら仮装している渋谷にいる一人一人が好き勝手に盛り上げているところに魅力を感じる。 ストリートカルチャーらしく路上から全てが始まるんだ。

だからもともと、人がいる場所にさらに必要以上に街に人が集まり過ぎるという点もあるのだろうけど。。

流行や、新しいものは街から発信されるという時代が90年代にはあった。 
コギャル、ストリートスナップ、ハイテクスニーカー。。。HMVなどから発した渋谷系みたいに。

でも、いま新しいこと、面白いことが集まるのは街じゃない。
twitterinstagramまとめサイト、LINEなんかのSNS、インターネットに移ってしまって

みんなスマホを持ってうつむいている。

だからなんかオンラインじゃない、実際のあの街に面白いものがありそうだなんて
感覚自体が懐かしくて痛快だった。  

もしかしたらそのことを新しく感じる世代もいるんじゃないか。

もう一つ感じるのは、このムーブメントの中心は女性がになっていること。
ハロウィンの夜 街を歩いてみるとわかるけど ほとんどが女性だ。
それはSNSでも一目瞭然。

クオリティの高い男性の仮装を見つけるのはまだまだ少ない。
女性が集まる華やかさにきっと集まる男性はさらに増えるはず

だから、このシーンはきっとさらに盛り上がっていくよ。

ゴミがたくさん出るという問題なのだけど
人が集まるとどうしてもでる問題。。。

ただ、自主的にゴミを集める動きも出始め
日本人はこの分野 得意だからうまい仕組みできるのじゃないか。
行政側はメイク場所を用意したりむしろフォローする方向に向かっている。
ゴミの問題もきっと年々、良くなっていくと思う。

「ちょっとしたパーティ」とは

普段より少しだけ、おしゃれをして、いつもとは違う自分になって日常から非日常に飛び出せる場所なんだろう。 

 

そして、その場所には普遍的な魅力があって

きっとそれに向けて洋服も売れてきたんだ。
(いまは、それが仮装になったのだけど。)

だとしたら、そのニーズを満たして誰もが参加できる
ハロウィンの人気はきっと普遍的に拡がってくんじゃないか やっぱ。

 

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